本文へ移動
2026年10月18日日曜日 全記事 ログイン 会員登録 한국어 ENG 中文 日本語 Tiếng Việt
The Korean Today(コリアントゥデイ)海外支局 先着順 募集中! (新しいタブ)

WIA 三国志 365

[Day 10] 先ず死せる人

一月 · 星が集まる | 約三分の読み

掲載 記事番号 50066
🏯

[Day 10] 先ず死せる人

一月 · 星が集まる | 約三分の読み

삼국지 365 · Day 10 · Book 1「星が集まる」

삼국지 365 Day 10 헤더 일러스트

十蠅廷(じゅうようてい)の夏が終わる前に、霊帝(れいてい)が崩御(ほうぎょ)したり。西暦一八九年四月十一日の夕にてあった。宦官(かんがん)蹇碩(けんせき)が先(ま)ず動きて、九歳の協(きょう)を皇帝として立てんとしたり。されど、何進(かしん)の軍が先ず宮を取り囲み、十四歳の辯(べん)が即位したのである。少帝(しょうてい)にてあった。蹇碩が逐われて逃げゆく途中、別なる宦官の手にて死せり。最初の蠅が先ず落ちたのである。

されど、九匹の蠅が、なお遺りおったのである。何進が大将軍の席にて朝廷を総覧(そうらん)し始めたり。彼の傍らに、二人の若き副将がおった。名は袁紹(えんしょう、字(あざな)は本初(ほんしょ))と曹操(そうそう、字は孟徳(もうとく))。袁紹は四世三公の名門の息子にして、曹操は宦官家門の養孫の息子にてあった。二人が何進にひと言を上りたり。

「大将軍。宦官九人の首を、ひと度に刎(は)ねたまわらねばならず。一撃にて為したまわざれば——こちらの首が先(ま)ず落ち申す。」

何進が首肯しつつも、永らく躊躇(ためら)いたり。彼の妹が何太后(かたいこう)にてあり、何太后が宦官を庇(かば)いおったのである。何太后のひと言が、何進の両耳の内側に、永らく循環したり。「兄上。宦官が皆な死さば、この宮の侍中(じちゅう)が皆な失(う)せ申す。」

袁紹が首を振りたり。「大将軍。さらば、外部の軍を都城へと召(め)し入れ給え。外部の軍の眼の前にて、宦官が自ら首を差し出(い)づべし。」

曹操がひと歩み出(い)でて、反(はん)したり。「大将軍。外部の軍を都城の内側へと召し入れなば、その軍が都城の主と為り申さん。宦官の首を刎ぬる事に、都城の門を外側へと開くべき事にあらず。」

何進が曹操の言を聴かざりき。袁紹の言に従いたり。檄文(げきぶん)が西へと送られたり。西涼(せいりょう)に駐屯(ちゅうとん)しおりたる一人の将に、都城へと上り来たれとの召しであった。その将の名は董卓(とうたく)にてあった。

檄文が西へと渡り行くその午後、十匹の蠅のうち遺れる九匹が、何太后の部屋の前に集(つど)いて、膝を屈(くっ)したり。涙の混じりたるひと言が、出でたり。

「太后陛下(たいこうへいか)。我ら九人の首が、今日の午後に、落ちんとしおり申す。太后陛下の中裁(ちゅうさい)のみが、我らの首を救い得申さん。大将軍をこの宮へと召し給い、太后陛下の席にて、中裁し給え。」

何太后が首肯したり。何進に、宮へと入り来たれとの伝言(でんごん)が、下されたり。

삼국지 365 Day 10 중간 일러스트

何進がその伝言を受けて、宮へと歩み入り行きたり。袁紹と曹操が、門の前にて止め申したり。何進が笑みたり。「我が妹の部屋なり。刀の入り来たる席にあらず。」

宮門が後ろにて閉ざされたり。九人の蠅が、部屋の真ん中の席にて待ちおったのである。刀が九方向(きゅうほうこう)より、何進の身(み)の上へと降りたり。九匹の蠅の真ん中にて、一人が先ず死せり。先亡(せんぼう、先ず死す)の二字が、その部屋の真ん中の血溜(ちだ)まりの上に、しずかに刻まれたのである。

何進の命の報が、戸の外側へと伝えられたり。袁紹と曹操がひと度に宮の内へと突入したり。刀が九方向より、九匹の蠅のほうへと降りたり。その夕の内側に、洛陽宮の宦官二千余名が、ひと度に死せり。鬚(ひげ)無き顔は皆な宦官と誤認され、鬚無き士と幼き少年数人もまた共に死せり。宮の庭が、血にて覆(おお)われたり。

少帝(しょうてい)辯と陳留王(ちんりゅうおう)協の二人の幼き皇子が、宮の後ろの墻(しょう)を越えて、都城の北の荒野(こうや)へと逃げ出(い)でたり。二人の皇子の後ろに、ひと群れの兵が随(つ)かざりき。野原の真ん中にて、二人の幼き皇子が、己(おの)ら同士にて、ぶるぶると震えおったのである。辯(べん)は終ぞ己が名の姿勢を、口に含み得ざりき、協(きょう)が代わりにつたなく、ひと言を取り出したり。「我らは——漢(かん)の二人の息子なり。路を、お示し下され。」幼き声が、野原の風に散りたり。

その時、西より馬蹄(ばてい)の音が聞こえ来たった。大いなる旗が、前にて靡(なび)きおったのである。旗の上のひと文字は「董(とう)」にてあった。その将の背丈は九尺に至り、顔(かんばせ)が黒く輝きおったのである。

Book 1 の十度目の夜が、洛陽宮の庭の血溜まりと、北の野原の真ん中とにて、しずかに深まりゆきつつあった。先亡 の二字が、部屋の内の真ん中にて先ず死せる一人の姿勢として、種子(たねつぶ)が植えつけられたのである。東の檄文が西の将を召しおりたる午後と、西の旗が野原の真ん中に到達したる夜とが、今日、ひと結にて連なりつつあったのである。

—

삼국지 365 Day 10 마무리 일러스트

📌 覚え書 — 正史と演義

🟢 正史『三国志』と『後漢書』は、西暦一八九年四月の霊帝(れいてい)の崩御、蹇碩(けんせき)の失敗、少帝(しょうてい)辯の即位、大将軍何進(かしん)の朝廷総覧、何進が宦官らに誘き出されて宮の内にて殺されたる事、袁紹(えんしょう)と曹操(そうそう)が宮を撃ちて宦官二千余名を殺したる事、ならびに少帝と陳留王(ちんりゅうおう)協が宮の後ろの墻を越えて都城の北のほうへと逃げ出(い)でたる事を、明らかに記す。🟢 何進が何太后(かたいこう)の部屋にて誘き出され、殺されたる具体は、『後漢書』何進伝の記録なり。🟢 董卓(とうたく)がその檄文に従いて、西涼(せいりょう)より都城へと上り来たりたる事もまた、正史にてあり。🟠 『三国志演義』第三回は、曹操が檄文に反したることを明らかに劇化し、袁紹の主張と対比して配置する。🟡 裴松之(はい・しょうし)注の断片のいずこにも、鬚無き士と少年の誤認の死の具体の数は、伝わらず。🔴 本編の「先亡」(せんぼう)の二字創作と、血溜まりの上に、しずかに刻まるるという鏡の解釈は、本編の再構成である。漢字創作の系譜が、今日、十番目の席に到達したり。

“

✒️ 平訳家の一言 — 延三欽博士(Yeon Sam-Heum, Ph.D.)

九匹の蠅の囲みたる部屋の内側にて、先ず死せる一人があり申す。己が妹の部屋なれば、刀が入り来らざるべしと信じたる笑みの後ろにて、刀が九方向より降り来たる席にござる。今宵、貴方のひと歩みの前のほうにも、信を以て戸を開けねばならぬ部屋と、信を暫(しば)し閉じ置かねばならぬ部屋との岐(みち)が、もしやおありにならぬか。その岐の結を、いま一たびしずかに覗き見られてはいかがであろう。

🌍 その年、地球の反対側にては…

西暦一八九年の秋、ローマの コモドゥス のパラティヌス宮の奥なる部屋にて、皇帝の近衛大隊(このえだいたい)の長が、宦官らの集(つど)いの部屋に招かれて殺されたりと伝わる。近衛長の笑みが、戸の閉ざさるる前に、終わらざりたとのこと。ラテン語の一句「prior mortuus(先ず死せる一人)」が、その秋の宮の記録の縁(へり)に刻まれたと伝わる。東の果ての何進の命が、九匹の蠅の部屋の内にて先ず落ちおりたるその秋、西の果ての近衛長の命もまた、同じ流儀の席にて、先ず落ちおったのである。

📅 明日 Day 11:西涼より来たれる足跡

「董卓(とうたく)の軍の足跡が、洛陽に到達したり。西涼の馬蹄の音が、都城の真ん中の席に降り立ちたのである。」 — 平訳家 延三欽博士

平訳 — 延三欽 平訳家 · Sam H. Yeon, Ph.D. · 延三欽博士

© The Korean Today 無断転載・再配布禁止。

関連記事

延三欽 平訳家

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

韓国語を無料で学ぼう — あなたの言語で言語ごとに無料のYouTubeチャンネル。毎日新しい言語を追加中。 YouTube · @wiakoreanja ↗ソウルのホテルWIA Trip · 24wiatrip.com ↗