[Day 5] 名なき功
一月 · 星が集まる | 約三分の読み

桃園(とうえん)の三杯の結義(けつぎ)の後、二十日が過ぎおったのである。その間に、三人の手に三本の武器が握られおった。劉備(りゅうび)の手に 双股剣(そうこけん)。両側に対称(たいしょう)を為したる細き二振(ふたふり)の刀にして、片方が崩るるとも、もう片方が先ず立ち上がるよう作られたる、二つにてひと結なる剣であった。
関羽(かんう)の手に 青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)。重さ八十二斤(きん)。今ひとつの名は 冷艶鋸(れいえんきょ)、冷たく艶(あで)やかなる鋸(のこぎり)と申せり。ひと度振るえば、振るわれたる席に白き光ひと筋のみが遺るる種類の刀であった。関羽が受け取りて、ひと言も取り出さざるままに、己の鬚の端を刀の背にわずかに掠めたり。刀が先ず挨拶を受くる音と、似ておったのである。
張飛(ちょうひ)の手に 丈八蛇矛(じょうはちじゃぼう)。柄(え)一丈八尺(いちじょうはっしゃく)。先(さき)が蛇の舌のごとく二岐(ふたまた)に岐(わか)れおった。振るう時、風が二岐に岐かれて過ぎ行く音が、不思議にも、張飛の声の結と似ておったのである。
五百の兵力が集(つど)いたり。里の壮丁(そうてい)三百に、他郷(たきょう)より報を聞きて駆け来たりたる二百を加えたる数であった。これらを率(ひき)いて三人が、幽州(ゆうしゅう)の校尉(こうい)鄒靖(すうせい)を訪ねたり。鄒靖が三人を、涿郡(たくぐん)太守劉焉(りゅうえん)へと導きたり。劉焉が劉備の遠き皇室の系譜を聞きて、喜びて彼を甥(おい)として収(おさ)めたり。ただ、公式の官職は、未だ下さざりき。
程なくして、黄巾(こうきん)の徒党を率(ひき)いる将一人が、五万の兵力を擁(よう)して、涿郡へと攻め入り来たった。名は 程遠志(ていえんし)。劉焉が鄒靖と共に、三人を出(い)でしめたり。五万対五百。されど、三人の歩みは、ひと度も遅(おそ)からざりき。
大興山(たいこうざん)の麓(ふもと)にて、二つの陣営が向き合いたり。劉備が馬を最も前へと駆りて進み出で、左に関羽、右に張飛が従いたり。劉備の鞭(むち)が上がりたり。「国に背(そむ)きたる逆賊(ぎゃくぞく)どもよ。何故(なにゆえ)に早く降伏(こうふく)せざるか。」
程遠志の面(おもて)が紅く成り、傍らの副将(ふくしょう)鄧茂(とうぼ)を前へと出(い)でしめたり。張飛の丈八蛇矛が、すぐさま前へと出でたり。ひと度の突きであった。鄧茂の胸の真ん中に矛先(ほこさき)の触るる音が、五万の兵の前にて、ただひと度、短く堅く響きたり。鄧茂が馬の下へと落ちたのである。
程遠志が刀を取りて、馬を駆(か)りて張飛のほうへと来たった。まさにその刹那(せつな)、関羽の青龍偃月刀が、月のゆるりと傾くごとくに、ただひと度のみ振るわれたり。白き光ひと筋が、空気を横に切りたり。程遠志の身が二片(ふたきれ)と為りて、馬の下へと落ちたのである。ただ二度の武器の音であった。張飛の矛がひと度、関羽の刀がひと度。

黄巾の徒党が武器を投げ捨てて、走り去りたり。劉備が追撃したれども、敵の頭巾を脱がしむる旨の指示のみを、二度繰り返したり。殺さず、頭巾のみを脱がしむると。頭巾を脱ぎて、額(ひたい)が現わるる刹那、彼らはすでに敵にあらず、農夫の一人へと帰りつつあった。この指示の結が、慈悲(じひ)の名にあらず、生涯この三人が抱き行く民の結の種子(たねつぶ)であった。
夕が来たった。官(つかさ)の前に松明(たいまつ)が明るく掛かり、太守劉焉が親(みずか)ら劉備の手を取りて大いに喜び、兵らに賞を下したり。ただ、その自祝(じしゅく)の真ん中の気の内側にて、三人は席のひと隅、わずかに離れたる処に座しおった。劉備の手に酒杯が握られおりしも、未だ半(なか)ばが遺れり。関羽は鬚の端を撫で下ろすのみにてあり、張飛は不思議にも今宵、終始しずかにてあった。
その日の夕の終わるまで、三人の名は、官の書類にひと度も上らざりき。ただ、ひと行にてかく記されおったのである。「涿郡太守劉焉、黄巾の徒党を大いに挫(くじ)く。」書類の下の署名の席にも、三人の名は無かったのである。
夜が更けて、張飛が杯を下に置きて、低き声にてひと言を取り出したり。
「兄上。我らの名が、今日、あの紙の上に、ひと度も書かれざりき。」
劉備が暫(しば)し答えざりき。その長き沈黙の内側にて、彼は己の袖(そで)の端に付きおりたる紅き糸ひと筋を、ゆるりと取りて、胸の側の懐(ふところ)の内側に、しずかに納めたり。今日のひと日のひと頁を、内側に畳み置く姿勢であった。
「……名がひと度も上らざりたるは、弟よ——もう一たび戦うべしとの意なるべし。」
関羽が初めてひと言を加えたり。
「兄上。我らの名は、もしかして——紙にあらず、人の心のほうにて先ず読まれる名なるかも知れぬ。今日のひと日の五百は、今日のひと日の五万より先ず——互いの顔を覚えん。今日の書類はいつかは消ゆれども、今日の五百の記憶は——容易には消えざるなり。」
Book 1 の五度目の夕が、涿郡(たくぐん)の官(つかさ)の庭にて、しずかに深まりゆきつつあった。無名功(むめいこう、名の上らざる功)の三字が、官の書類の外の席に、しずかに種子として植えつけられつつあったのである。桃園盟(とうえんめい、Day 4)の後ろに、名の上らざる功の席が、待ちおったのである。
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📌 覚え書 — 正史と演義
🟢 正史『三国志』蜀書先主伝(せんしゅでん)は、黄巾(こうきん)の乱が起こりたるに、劉備(りゅうび)が衆を率(ひき)いて幽州(ゆうしゅう)校尉鄒靖(すうせい)の麾下(きか)にて戦功を立て、涿郡(たくぐん)太守劉焉(りゅうえん)が彼を受け入れたることを、簡潔に記す。🟢 三人の武器——双股剣・青龍偃月刀・丈八蛇矛の名は、演義にて劇化されたるものにして、正史『三国志』関羽伝は、関羽が長き刀を善(よ)く用いたることを、簡潔に記す。🟡 裴松之(はい・しょうし)注の断片にも、大興山(たいこうざん)の戦の具体や、程遠志(ていえんし)・鄧茂(とうぼ)の名は、伝わらず。🟠 大興山の麓の五万対五百の戦、程遠志・鄧茂の具体の名と処断(しょだん)の場面は、ことごとく『三国志演義』第一回の脚色である。🟠 官の書類に三人の名がひと度も上らざる構図もまた、演義の脚色に近く、本編はこの脚色を「名なき功」の姿勢にて再び配置したり。🔴 本編の「無名功」(むめいこう)の三字創作と、紅き糸を胸の側の懐に、しずかに納むる姿勢の鏡の解釈は、本編の再構成である。漢字創作の系譜が、今日、五番目の席に到達したり。
“✒️ 平訳家の一言 — 延三欽博士(Yeon Sam-Heum, Ph.D.)
大いなる功の成りたる夕にても、官の書類の上には、ひと度もその人の名が上らざる席があるものでござる。名が紙の上にて先ず読まれざる功は、人の心のほうにてより永く読まるる種類の功なり。今宵、貴方(あなた)のひと日の終わりにも、官の書類に上らざる功の席が、もしやおありにならぬか。その上らざるの結を、ひと結いっそうしずかに覗き見られてはいかがであろう。
🌍 その年、地球の反対側にては…
西暦一六九年の夏、ローマの マルクス・アウレリウス のドナウ川岸の戦の夕、ある軍団の兵らがゲルマン(Germani)の徒党を挫(くじ)きたる後、功の記録が皇帝の名のみにて遺りたりと伝わる。兵らの名は、公式の文書にひと度も上らざりたとのこと。ラテン語の一句「sine nomine virtus(名なき徳)」が、その夏の記録の縁(へり)に刻まれたと伝わる。東の果ての涿郡の官の前にて、三人の名がひと度も書類の上に上らざりおりたるその夕、西の果ての一軍団の兵らの名もまた、同じ流儀の席にて、上らざりおったのである。
📅 明日 Day 6:小さき郡の小さき官職
「名が官の書類に上らざりたる夕の後、劉焉が劉備に小さき郡の小さき官職を下したり。安喜県(あんきけん)の尉(い)の席にてあった。」 — 平訳家 延三欽博士
平訳 — 延三欽 平訳家 · Sam H. Yeon, Ph.D. · 延三欽博士





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