[Day 43] 徐州へと向かう溜息
二月 · 主なき刀 | 約三分の読み

長安の炎(ほのお)が、しずまり行きおりたる頃、東の兗州(えんしゅう)にて、ひと父の名が、徐州(じょしゅう)のほうへと、渡り行く息が、長く、連なりおったのである。
兗州の曹操(そうそう)は、過ぎし一年の間に、青州(せいしゅう)黄巾(こうきん)三十余万を、精兵(せいへい)として、帰順(きじゅん)せしめ、威名(いめい)を、山東(さんとう)一帯に、大いに、轟(とどろ)かしたり。彼の幕屋の前に、文臣と武将とが、順に、歩み入り来たった。潁川(えいせん)の荀彧(じゅんいく)と、甥(おい)の荀攸(じゅんゆう)、東阿(とうあ)の程昱(ていいく)、潁川の郭嘉(かくか)、淮南(わいなん)の劉曄(りゅうよう)、山陽(さんよう)の満寵(まんちょう)、武城(ぶじょう)の呂虔(りょけん)、陳留(ちんりゅう)の毛玠(もうかい)。八つの名が、今日、兗州の幕屋の前の日差しの下にて、ひと列に、跪(ひざまず)きたり。
ある日、夏侯惇(かこうとん)が、ひと大漢(だいかん)を、伴いて、入り来たった。背の高く、肩の広く、双鉄戟(そうてつげき)が、背の後ろにて、重く、揺れおったのである。陳留の人・典韋(てんい)にてあった。曹操が、双鉄戟の重みを、量(はか)り見て、大いに、笑みたり。「この人は、古(いにしえ)の悪来(あくらい)に、ござるな。」
その後、程なくして、曹操が、低く、命じたり。「太山(たいざん)太守・応劭(おうしょう)を、お遣(つか)わし給え。琅邪(ろうや)に、隠居(いんきょ)し給う父・曹嵩(そうすう)を、兗州へと、お迎え奉れ。」曹嵩は、過ぎし日、陳留にて、難(なん)を避けて、琅邪の深き森の内側に、隠居しおりたのである。息子の書信(しょしん)を受けて、弟・曹徳と、ひと家門の老少(ろうしょう)四十余名、従者百余名、車百余輌の荷物を、率(ひき)いて、兗州のほうへと、路を発(た)ちたのである。
路がちょうど、徐州(じょしゅう)を過ぎ行く頃にてあった。徐州太守・陶謙(とうけん)は、人と為(な)り、本(もと)、温厚(おんこう)にして、純篤(じゅんとく)なる人にてあった。永らく以前より、曹操との結縁(けつえん)を願いおりたれども、その路を、見出(みいだ)し得ずして、おりたる中に、曹操の父が、己(おの)が領内を、過ぎ行くとの言を、聞きて、大いなる歓迎を、用意したり。徐州の境まで、手づから進み出(い)でて、迎えて、再拝(さいはい)して、敬を、表したり。盛大なる宴(うたげ)を、催(もよお)して、二日を、お泊(と)まらしめおったのである。
三日目の朝、曹嵩が、陶謙に、別れを、告げたり。陶謙が、己が部下・張闓(ちょうがい)に、五百の軍兵を出(い)でて、護送を、委(ゆだ)ねたり。張闓は、本(もと)、黄巾の残党出身にてあった。陶謙が、彼を抜擢(ばってき)して、徐州の軍として、用いおりたのである。されど、その張闓の眼の内側には、かつての黄巾の貪心(どんしん)が、なお、遺りおったのである。
曹嵩一行が、華(か)・費(ひ)の二県の境に、至りたる時、大いなる雨が、降り注ぎたり。一行が、路傍(ろぼう)の古き寺院の内側に、入りて、雨を、避けたり。張闓が、五百の軍兵に、低く、命じたり。「この荷物の車百余輌に、金と、玉と、絹とが、満ちおる。今宵、この寺院の内側にて、皆な、お斬(き)り申せ。荷物を、我らが分かちて、淮南(わいなん)の袁術(えんじゅつ)のほうへと、お逃げ申せ。」

その夜、古き寺院の内側にて、刀が、曹嵩の頸(くび)の上へと、降り来たった。曹嵩と、曹徳と、ひと家門四十余名と、従者百余名とが、ひと度に、倒れたり。張闓が、荷物百余輌を、運び、五百の軍兵と共に、淮南のほうへと、逃げたり。
応劭は、この事を、遅れて、聴きて、敢(あ)えて曹操に、報を、上り得ずに、袁紹(えんしょう)の陣営へと、逃げたり。別なる従者ひと人が、辛うじて、生きて、兗州のほうへと、駆け行きたり。
兗州の幕屋の真ん中にて、曹操が、報を、受けたり。ひと息の沈黙が、ありたり。次なる息にて、血が、彼の両眼の内側に、永らく、湛(たた)えられたり。その涙の内側にて、怒りが、ひと結、ひと刀の結として、堅く、成り行きつつあった。「陶謙。この恨みを、徐州の城壁の上に、血にて、書き置き申さん。」
Book 2 の十三度目の夕が、兗州の幕屋の真ん中と、華・費の二県の古き寺院との、二席にて、しずかに、深まりゆきつつあった。父殞途(ふいんと、父が路の上にて、倒れたる席)の三字が、徐州へと向かう路の上にて、父の名が、倒れたる息の種子として、植えつけられつつあったのである。Day 42 の 宣平投(せんぺいとう)、司徒の投身と、今夕、華・費の二県の古き寺院にて、父が倒れたる席とが、同じ流儀の末(すえ)の席に、並びて、置かれおったのである。
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“✒️ 平訳家の一言 — 延三欽博士(Yeon Sam-Heum, Ph.D.)
ひと父の名が、路の上の古き寺院の内側にて、倒るる夕があり申す。その倒れの息が、息子の両眼の内側に、血にて、湛(たた)えらるる席にござる。今夕、貴方の父の名の後ろのほうにも、倒れたる息の長さが、もしやおありにならぬか。その長さの結を、ひと結いっそうしずかに、覗き見られてはいかがであろう。
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