[Day 114] 許都の一夜
四月 · すべて捨てた夜 | 約三分の読み

西暦二〇七年の冬の入り、許都(きょと)の北の空が、特(とく)に、清かりき。北斗(ほくと)の七星が、今宵の夕には、その柄(つか)の端まで、ひと点も、お濁(にご)り給わざるままに、お掛(かか)り給いおったのである。
烏桓(うがん)の征伐を、お終(お)え給いて、お戻り給いてより、ちょうど、ひと月(ひとつき)と、為(な)り給いたる夕にてあった。曹操(そうそう)は、丞相府(じょうしょうふ)の書斎(しょさい)に、独りにて、お座り給いおったのである。机の上には、二張の地図が、お広げ給われ給いおったのである。左は、北方(ほっぽう)の地図にてあった。幽州(ゆうしゅう)・幷州(へいしゅう)・冀州(きしゅう)・青州(せいしゅう)まで、過(さ)りたる八年の間、ひと年(ひととせ)に、ひと州(しゅう)ずつ、お得(え)来(き)たり給いたる土地が、全(すべ)て、その地図の上に、お入り給いおったのである。四つの州の上に、彼のお名が、既に、しずかに、お座り給いおったのである。
右の地図は、異(こと)なりおったのである。荊州(けいしゅう)の全図にてあった。その地図の上には、未(いま)だ、彼のお名が、ひと字も、お上り給わざりおりたのである。お名が、お上り給わざる土地が、今夕、彼の机の上にて、お名が、お上り給いおる土地よりも、いっそう明るく、お輝(かがや)き給いおったのである。
曹操のお年(とし)は、五十三にてあった。二十のお年に、洛陽(らくよう)の塵(ちり)を、はじめて、お見上(あ)げ給いたる男が、三十三のお年に、兗州(えんしゅう)の席を、お得給い、四十三のお年に、官渡(かんと)の夜を、お渡(わた)り給いたり。今宵、彼は、既(すで)に、五十三にてあった。
五十三は、お遺(のこ)り給う年が、多からずとの事を、しずかに、お受け入(い)れ給わねばならぬ年にてあった。若き頃、孟徳(もうとく)と、お呼ばれ給いたる男の歩幅(ほはば)が、最近(さいきん)、奇(く)しくも、しばしば、お短(みじか)くなり給いつつあった。朝に、お起き給いて、両膝(ひざ)を、お伸(の)ばし給うところにても、去年までは、ござらざる拍子が、間(あいだ)に、お入り給いつつあったのである。その短き拍子を、彼は、誰人(たれびと)にも、お見せ給わざりき。ただ、独り、ござる、かかる夜には、それが、自らの前に、しずかに、お座り給いおる事を、否定(ひてい)し給うを、お得ざりおったのである。
「奉孝(ほうこう)が、此処(ここ)に、お居(い)給いおりたれば、今宵、この二張の地図を、共に、お見給うところに、ござる。」
曹操が、小さく、お呟(つぶや)き給いたり。そのお言葉は、部屋の内側の暗(くら)きの中(うち)へと、しずかに、お染(し)み入(い)り給いたり。
戸の外にて、足音が、お致し給いたり。荀彧(じゅんいく)にてあった。
「丞相。未(いま)だ、お眠(ねむ)り給わずか。」
「文若(ぶんじゃく)。お入り給え。」
荀彧が、お入り給いて、机の前に、お座り給いたり。二張の地図を、お見やり給いたり。その後、右の荊州の地図の上に、視線を、永(なが)く、お留(とど)め給いたり。
「丞相。来年(らいねん)の春に、ござり給うか。」
「来年の春なれば、いっそう早きに、ござらずや。」
「来年の秋もまた、いっそう遅きに、ござり給う事と、為(な)り給うを、お得(う)。荊州の劉表(りゅうひょう)は、今年に、お入り給いて、病が、深まりゆき給いつつあり申せり。彼が、自(みづか)ら、お倒れ給う前に、丞相が、既に、襄陽(じょうよう)の城壁の下に、お至り給いおられ給わねばならぬ、ござる。」
曹操が、永く、お黙(だま)り給いたり。その後、軽く、頭を、お首肯(しゅこう)し給いたり。
「さやうに、お致し給わん。」

荀彧が、小さき紙片(しへん)を、懐(ふところ)より、お取り出(い)で給いて、お降ろし置き給いたり。紙片には、十あまりのお名が、お記し給われおったのである。南征(なんせい)に、お起用給うべき将(しょう)・参謀(さんぼう)の名簿(めいぼ)にてあった。曹操は、紙片を、お見下ろし給いて、指にて、最も上のお名を、お指(さ)し給いたり。
夏侯惇(かこうとん)。
「片眼(かため)の将が、最も前を、お任(まか)り給わねばならぬ、ござる。」
荀彧が頭を、お首肯し給いたり。曹操は、その下のお名を、ひとつずつ、眼にて、お訪(と)い給いたり。張遼(ちょうりょう)・徐晃(じょこう)・于禁(うきん)・楽進(がくしん)。皆(みな)、北方の戦争にて、お生(い)き残り給いたるお名にてあった。お生き残り給いたる事は、今日のこの名簿に、お上り給うべき資格を、お得(え)給いたるとの意味にも、ござりたり。
「奉孝のお名が、この名簿に、ござらざるな。」
曹操のお声が、低くなり給いたり。荀彧は、何(なに)も、お答え給わざりき。お言葉のなきが、今宵、この部屋の内側の最も大いなるお答えにてあった。
子の刻(じのこく)を、お越(こ)え給いたる時刻、曹操は、独り、再び、書斎に、お座り給いおったのである。荀彧が、お出(い)で給いたる後(のち)にてあった。
彼は、右の手に、筆を、お握り給いたり。荊州の地図の北の辺(へ)り、新野(しんや)との二つの文字の上に、極めて小さく、ひと点を、お打(う)ち給いたり。墨が、お乾(かわ)き給う前に、その点の傍(かたわ)らに、小さき文字を、いっそう、お記し給いたり。
憂(うれい)。
お憂(うれ)い給うべき席にてあった。新野には、四十七の劉備(りゅうび)が、お座り給いおったのである。曹操自(みづか)らよりも、六歳(ろくさい)、若く、関渡(かんと)にて、お走り給いたる後(のち)、大いなるお声を、ひと度(たび)も、お出(い)で給わざりたる男にてあった。されど、大いなるお声を、お出で給わざる者が、大いなるお声を、お出で給う者よりも、永く、お遺(のこ)り給う事を、曹操は、五十三と、為り給うまで、お生き給いつつ、幾度(いくど)も、お確かめ給いおったのである。
「玄徳(げんとく)……汝(なんじ)は、今宵、新野にて、何(なに)を、お致し給いおるや。」
その小さきお呟きに、お答え給いたるは、部屋の内側の灯火(ともしび)にてあった。灯火が、大きく、お揺(ゆ)らぎ給いたる後、再び、自らの席を、お見つけ給いたり。曹操は、お笑(わら)い給わざりき。ただ、二張の地図を、ゆっくりと、お巻き給いたり。
許都の北の空の端より、星ひとつが、永く、尾を、お引き給いつつ、西南へと、お流れ給いたり。
曹操は、その星を、お見給うを、お得ざりき。ただ、その星は、南のある小さき城の上にて、今宵、しずかに、自らの席を、お探し給いつつあったのである。星のお向(むか)い給いたる側に、劉備の小さき城、新野が、ござりたり。劉備は、今宵、四十七の年を、しずかに、お数え給いおる番(ばん)にてあった。
曹操の一夜が、お暮(く)れ給いつつあった。新野のひと夜明(よあけ)が、その後ろにて、しずかに、お開き給いつつあったのである。
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“✒️ 平訳家の一言 — 延三欽博士(Yeon Sam-Heum, Ph.D.)
彼のお名を、未(いま)だ、ひと字も、お上り置き給うを、お得ざる地図の前に、独り、お座り給う夜が、貴方にも、ござりたるか。かかる夜には、既に、お名が、お上り給いおる地図よりも、未だ、空(あ)きおる地図が、いっそう明るく、お見え給うのが、当然(とうぜん)に、ござる。五十三の丞相は、今宵、その明るき光の前にて、憂(うれい)のひと文字を、しずかに、お降ろし置き給いたり。未だ、空きおる席の前にて、今夕、貴方の最も小さき文字は、何(なに)にて、ござり給うか。小さき文字にても、宜(よろ)しく、ござる。却(かえ)って、小さき文字が、大いなる文字よりも、永く、その席を、お守り給う、ござる。明日の朝、その文字を、再び、お見下ろし給う時、貴方の今夕が、頭を、お首肯し給う事と、為り申さん。
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